2016年10月27日木曜日

「ビジョナリー・プラス」 (テクノロジー時代のリーダー)

これからの仕事に、テクノロジーは欠かせない。
しかし、テクノロジー時代のリーダーには、今まで以上の何かが求められる。

今までのリーダーは、「ビジョナリー」であることが求められた。
これを「志」と訳すこともあり、だからリーダーは「志士」であることが大事である。

テクノロジーで世界を変えるリーダーには、これに加えて「イマジナリー」であることが求められる。
これを訳せば「夢」となり、だからリーダーは「夢想家」でなければならない。

テクノロジーの知識は大事だ。
けれど、イマジネーションなき技術者は、ただの技術者にすぎない。

夢のプロダクト、夢のサービス、夢の世界を、テクノロジーを使って実現するのだ。
だから、夢想家ではあっても、実現力のある夢想家でなければならない。

今までのリーダーは、志を立てて実現する人。
テクノロジー時代のリーダーは、夢を描いて実現する人である。

テクノロジー時代のリーダーは、「ビジョナリー・プラス・イマジナリー」であるとも言えるし、「Willful Dreamer (実現せずにはいられない夢想家)」であるとも言えるだろう。

「ビジョナリー・プラス」 (テクノロジー時代のリーダー)

これからの仕事に、テクノロジーは欠かせない。
しかし、テクノロジー時代のリーダーには、今まで以上の何かが求められる。

今までのリーダーは、「ビジョナリー」であることが求められた。
これを「志」と訳すこともあり、だからリーダーは「志士」であることが大事である。

テクノロジーで世界を変えるリーダーには、これに加えて「イマジナリー」であることが求められる。
これを訳せば「夢」となり、だからリーダーは「夢想家」でなければならない。

テクノロジーの知識は大事だ。
けれど、イマジネーションなき技術者は、ただの技術者にすぎない。

夢のプロダクト、夢のサービス、夢の世界を、テクノロジーを使って実現するのだ。
だから、実現力のない夢想家ではいけない。

今までのリーダーは、志を立てて実現する人。
テクノロジー時代のリーダーは、夢を描いて実現する人である。

テクノロジー時代のリーダーは、「ビジョナリー・プラス・イマジナリー」であるとも言えるし、「Willful Dreamer (実現せずにはいられない夢想家)」であるとも言えるだろう。

2016年10月7日金曜日

体を造ろう

「わかったなら、できるはずだ」と私の師は言う。

何かを分かったと思っても、それが自分の体で(表現)できなければ、それはまだ分かったつもりでいるにすぎない。
模造の知にすぎない。

欲しいのは、たくさんの模造品か、それともたった一つの本物か。

自らが持っている知が本物か偽物かを区別するカギは、それを体現できるかどうかである。
だから本物を志す人は、知を体現できる体をつくらなければならない。

2016年10月6日木曜日

顔を造ろう

なりたい自分があるなら、その顔をつくろう。

明るい人になりたいなら、明るい顔をつくる。
頼もしい人になりたいなら、頼もしい顔をつくる。
優しい人になりたいなら、常に優しい顔をつくる。

心は形をつくるが、形も心をつくるから。

2016年9月30日金曜日

不十分な環境に生きる

我々は、まったく不十分な環境のもとで生きている。
けれど、もっと不十分な環境のもとで生きている人もいる。

東京大学教授の福島智(さとし)氏は、3歳で右目を、9歳で左目を失明し、全盲になった。
生来が楽天的という福島氏は、視力を失っても音の世界がある、耳を使えば外の世界とつながることができると考え、音楽やスポーツ中継や落語に夢中になっていた。

だが、14歳から右耳が聞こえなくなり、18歳、高校二年生のときには残された左耳も聞こえなくなった。
全盲聾。
まるで、「真っ暗な真空の宇宙空間に、ただ一人で浮かんでいる」感じだという。
なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか。これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか。
不安、恐怖、絶望。懊悩の日々が続いた。

そんなある日。母親の令子さんが福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立て、
「さとしわかるか」と打った。
「ああ、わかるで」と福島さんは答えた。

母親のこの指点字は壮大な転機となった。
福島さんは真っ暗な宇宙空間から人間の世界に戻ってきたのだ。
その時の感動を福島さんはこう詩に綴っている。


指先の宇宙

ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった

ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた

ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した

ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した

コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに


我々は、まったく不十分な環境のもとで生きている。
けれど、福島氏にはそれに対する被害者意識がみじんもない。
被害者意識で生きている人は、何事であれ人のせいにする。
人のせいにしている人に難関は越えられない。人生は開けない。
だから我々は、たとえ不十分な環境であろうと、いや、不十分な環境であればこそ、被害者意識で生きてはいけないのだと思う。

(「致知」2016年6月号より編集)

2016年9月24日土曜日

天職に気づく

天職というのは、探すものかもしれませんし、気づくものかもしれません。
案外と人は無意識のうちに天職を選んでいて、けれど選んだことに気づいていないことも多いように思います。

だから天職が見つかるかどうかを気にすることよりも、それが天職だと気づけるかどうかを気にしたほうがよい。

何よりも大切なのは、気づける感覚を磨くことです。

2016年9月23日金曜日

知を育む(はぐくむ)とは、どういうことか

知の吸収と栄養の吸収は似ている。
そもそも、知とは頭の栄養なのだから、似ているのは当然だ。

たとえば学者が研究してエッセンスを抽出した理論本から学ぶのは、サプリメントで栄養を摂ろうとするのに似ている。
効率よく、不純物が混じっていない純粋な栄養素がとれる。

では、栄養のすべてをサプリメントに頼る食生活は、「正しい」か?
それで、「人」は育つのだろうか。
知識のすべてを学者のエッセンス本に頼る学習は、「正しい」か?
それで、「人」は育つのだろうか。

一方で、自然食から栄養を得るのは、知で言えば体験や疑似体験(事例研究、ケーススタディ)から学ぶことである。
それは「効率的」ではないかもしれない。
けれどそれは、「本物」かそれに近いものではある。

サプリメントも有効であろうし必要でもあろうと思う。
けれど、それに依存する生き方や育ち方をしていないか。
便利な時代だからこそ、我々は注意しなければならない。

2016年8月2日火曜日

ビジョンの持ち方、志を立てるコツ

ビジョンとは「相手を思う気持ちから生まれる想像力」の産物です。
そもそも想像力という言葉自体、「想」で「像」をつくる「力」を持つということで、ビジョン作成法そのままじゃないですか。
そういう意味で、想像力をたくましくすることが、ビジョン構築力を鍛えるトレーニングとなります。

そしてもう一つ大切なこと。
想像の対象は、自分以外の誰か(または何か)であることが大事です。
自分の未来ばかり想像しても、人の心を動かすビジョンなど、できるわけがありません。

ビジョンがなかなか持てないという人は、自分が自分以外の誰か(or 何か)のことを、どれだけ心から想っているか、そのあたりからチェックしてみてはどうでしょう。

志とかビジョンは、「自分は何をしたいのか」だと言われます。それは間違ってはいないが、十分とは言えません。だって、それだけなら志と野望は同じになってしまう。

志とかビジョンは、「自分は、誰をどうしてあげたいのか」なのです。

2016年7月18日月曜日

生まれてきた意味を知れ

君たちが生まれ、生きていることには必ず何かの意味がある。

それに気づくことさえできれば、きっと運命の扉が開く。

だからまだそれが分からないという人は、早く気づけるよう、毎日自分に問いかけることだ。

2016年7月17日日曜日

大きな力と小さな人間

小さな人間には、大きな力は使いこなせない。

だから君たちが大きな力を欲するなら、しなければならないことは小手先の小さな技術を学ぶだけではなく、自分という人の器を大きくすることだ。

2016年5月19日木曜日

品位が求められる

我々は、合法であれば何をしてもいいのだろうか。
そこには、品性の問題がある。

少なくとも「代表者」には、適法性と共に品性が問われる。
品格・品位の高さが求められる。

合法であればいいだろうというのは、品位の低い人の考えることである。
上に立つ者は、そういう考え方ではいけない。

2016年4月18日月曜日

マインドフルネスの感覚

体験した人なら分かるでしょうが、マインドフルネスは、以下と同じ「感覚」だと思います。

・スポーツでいう「ゾーンに入った」状態

・心理学でいう「フロー状態」

・禅でいう「無の境地」

・「明鏡止水」の状態

また、柳生新陰流(剣術)には「水月の法」といって、相手の気の動きを察知する術があるそうですが、これも用法を聞くと、マインドフルネスの応用と考えられます。

上記はどれ一つとして、言葉で理解できるものではありません。
修練の長い繰り返しの末に、体で理解するものです。

マインドフルネスとは何か。
本当に知りたい人は、悪いことは言わない、体で知る努力をすべきです。
なぜならマインドフルネスとは一種の「体感」だからです。

たとえば「しみじみした感じ」を言葉で十分に説明することは不可能なように、
塩をなめたことのない人が、「塩味」を言葉で理解することも不可能なように、
感覚は言葉では十分な説明も理解もできないので。

2016年4月3日日曜日

痛みは、苦しみではない

ミドルリーダーは、どのような感覚で生きているか。
それは一人、体をがんじがらめに縛られて、大海を渡れと突き落とされるのに似ている。

手足を自由に動かすこともできない。なのに、陸の上で濡れることなく冷然と見ている人たちからは「遅いな」と言われる。
大海を渡るどころか自分の体はどんどん海底へと沈んでゆく。けれど、誰も見ているだけで助けようとはそぶりも見せない。
苦しくて、寂しくて、水の中なのに涙が出ているのがわかる。

そんな状況で、君ならどうするか。
助けは来ない、絶望とどう向き合うか。
客観的に救われない状況で、自分を支えることはできるのか?

たとえばジャック・マイヨールのように、水深100メートルまで素潜りする人は、どういう感覚でいるのだろうか。
自ら好んで、あんな苦しいはずのことをする人は、どういう精神構造をしているのだろうか。

おそらくそういう人は、「ここが、自分のいるべき本来の場所だ」と思っているのかもしれない。
魚が水の中にいるように、自分はここにいたい、ここにいるのが好きだと感じているのかもしれない。

普通の人にとって、たった一人で沈んでいくことは苦痛である。痛くて、苦しい。
けれどある種の人には、痛みは苦しみではないのである。

痛いけど、苦しくはない。
そういう境地に至るには、今ここにいる自分こそ、本来の自分なのだと思えることが鍵なのかもしれない。

2016年3月31日木曜日

人は、死なない

人の世は、無限に続くバトンリレーのようなものだ。
先人が大切に保持してきたバトンを、我々は受け継いで生きている。

だから私たちも、大切な人に、大切なバトンを渡して死んでいこう。
その、見えないバトンが誰かに大切に保持されている限り、人は表面的には死んでしまったとしても、本質的には死なないのだから。

2016年3月29日火曜日

哲学を学ぶとは

哲学を学ぶとは、他人の考えを暗記することではありません。
自分の考えを持つことです。

ただ、その自分の考えが、偏っていたり狭かったりしてはいけない。
だから、古今東西の優れた哲人たちの言葉を「鏡」として学ぶのです。

哲学は、表面的には他人の言葉を学びます。
けれどそれは、自分の言葉を持つためなのだということを、勘違いしないようにしましょう。

2016年3月17日木曜日

僕は最後まで戦いたい

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。

Vincent Van Gogh (ゴッホ、オランダの画家)

2016年3月14日月曜日

繊細さと、強さ

世の中には二種類の「強い人」がいる。
一つは、心が雑(ざつ)だから強い人である。

繊細な人は傷つきやすい。
雑な人は、傷つかない。
だから強い。

けれど、私は言いたい。
繊細で、強い人になれと。

雑だから強いということに、一体どれだけの「人としての価値」があるのだろう。

それよりも、繊細で、だからこそ得られる「真の強さ」というものが、人にはあり得るのではないだろうか。

2016年3月10日木曜日

かなわぬ夢に挑むこと

人生にとって最も大切なことが「努力する今の自分がいること」であるなら、かなわぬ夢への挑戦は、その大切なものをいつまでも持ち続けられる、いわば生き方の極意であるかもしれない。

2016年3月5日土曜日

成長と新陳代謝

限りない成長というと、私たちは事業や会社が無限に大きくなり続けることを想像しやすい。
けれど、それは浅い考えかもしれない。

人の体も成長するが、それは体が無限に大きくなり続けることを意味しない。
体の中で細胞レベルの新陳代謝が活発に起きていることを指すのだ。

つまり成長とは、拡大というよりも変化なのだ。
それも、長期にわたる、健全なる不断の変化だ。

そう考える時、私たちの会社は、組織は、そして私たち自身は、ほんとうに成長しているだろうか。

2016年2月22日月曜日

神様の願い

神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
by マザー・テレサ

God doesn't require us to succeed; he only requires that you try.

2016年2月16日火曜日

同じようで違う日々

​私たちが毎日同じように歩いている道も、厳密に言えば、毎日同じではありえない。​
つまり私たちは同じことを繰り返しているように見えても、本当はすべて新しい体験の連続なのだ。

そう考えると、明日はどんな新しいことがあるのか、ワクワクする。
そして、一瞬一瞬を大切に、もっとすべてに注意深く生きようと思う。

2016年2月15日月曜日

後悔しない決断

後悔しない決断をするには、どうすればよいだろう。

将来予測や期待値計算に基づく決断は、後悔につながる確率をゼロにはできない。
「今こうした方が、将来得だろう」と思っても、状況が期待通りにはならないからだ。

後悔しない決断は、将来の予測や期待に基づかない。
「損得なんて関係ない。ただ、これをしたい」と思えたとき、それは後悔しない決断になる。

2016年2月12日金曜日

幸福論の大事さ

三木清という哲学者は、
「幸福について考えないことは今日の人間の特徴である」
と言った。(人生論ノート)

その通りかもしれない。

どうすれば、勝てるか、儲かるか、出世できるかといった方法論を考えることも大事だろう。
しかし、どうすれば幸せになれるのかという、幸福論を考えもしないというのは残念である。

最も残念なのは、それらの方法論が、幸福論だと勘違いすることだろう。
しかし、私たちは案外、そんな勘違いを本気で信じたまま、何十歳にもなっているのではないだろうか。

2016年2月11日木曜日

大きな人とは

子供は自分の「やりたいこと」を知っている。

しかし私たちは"大人"になるために、自分の「やりたいこと」を忘れ、「他人が自分にやってほしいと思うこと」ばかりを意識する。

だが、偉大なる大人、すなわち"偉人"は、「やりたいこと」を忘れなかった人なのではないだろうか。

2016年2月5日金曜日

未来が不確定だからこそ、人は頑張る

自分の将来を安心できるものと考えることは、良いことだろうか。それとも良くないことだろうか。
​人は安心を求めて努力する。それは、ちっとも間違ってはいないと思う。
​けれども人は、ひとたび安心してしまったら、その後は停滞してしまう。​

​未来が不確定だからこそ、人は頑張る。

だから私は、人事コンサルタントとして、特にシニア社員のモチベーションアップをはかるときは、あえて社員が安心してしまわないように、未来のさまざまな可能性を示し、期待と不安でドキドキしながら生きられるようなキャリアパスを提案することがある。

2016年2月2日火曜日

違うけど、好き

人の意見や感性が、自分のそれと違うことで、私たちは苦しみます。
特に、自分と同じであってほしい人の意見や感性が違うと、私たちは非常に苦しみます。

けれど本質的に、人はそれぞれであり、違います。

一方で、その人が自分と「違う」ということは、その人を「嫌い」と思うこととは別であるはずです。
「違う」ということは客観的に受け止めつつ、それでも「好き」と思うことは、できるはずです。

"違い"を、どれだけ受容できるか。
それは、私たちの器の問題でもあると思います。

2016年2月1日月曜日

職場の差別用語をなくそう

​日本人が何気なく使っている「​
正社員
​」​
という言葉は、法律的にはどこにも規定されていない、ただの習慣的呼称にすぎません。

同様に、
「非正社員」「​非正規社員」​
​​
という
​言葉も、法律的には存在しません。

私たちは、(
定年まで
​)​
無期限に雇用している社員を正社員と呼び、​有期契約を結んでいる社員を非
​正社員などと呼んでいるだけなのです。

しかし、有期契約だからといって、「非」と呼ばれるいわれが果たしてあるのでしょうか。

もしかすると、こうした人の呼び方は、21世紀に残る差別用語なのかもしれません。

私は最近のセミナーなどでは、別の呼称を提案しています。

2016年1月30日土曜日

価値観に優劣はない

​能力やスキルに優劣はあるが、文化や価値観に優劣はない。
このことを混同してはいけないと思います。​