ビジョンとは「相手を思う気持ちから生まれる想像力」の産物です。
そもそも想像力という言葉自体、「想」で「像」をつくる「力」を持つということで、ビジョン作成法そのままじゃないですか。
そういう意味で、想像力をたくましくすることが、ビジョン構築力を鍛えるトレーニングとなります。
そしてもう一つ大切なこと。
想像の対象は、自分以外の誰か(または何か)であることが大事です。
自分の未来ばかり想像しても、人の心を動かすビジョンなど、できるわけがありません。
ビジョンがなかなか持てないという人は、自分が自分以外の誰か(or 何か)のことを、どれだけ心から想っているか、そのあたりからチェックしてみてはどうでしょう。
志とかビジョンは、「自分は何をしたいのか」だと言われます。それは間違ってはいないが、十分とは言えません。だって、それだけなら志と野望は同じになってしまう。
志とかビジョンは、「自分は、誰をどうしてあげたいのか」なのです。
哲学の開祖ともいうべきギリシャの哲人ソクラテスは、「人はただ生きるだけではだめで、よりよく生きなければならない」と言いました。 効率的な稼ぎ方や、効果的な出世の仕方といった技術を身につけることも大切ですが、正しい生き方とは何か、真善美とは何かといった、哲学を身につけることも人として生きるために重要です。 このブログでは、日々の気づきのかけらを通じ、現代の哲学を考えていきたいと思います。
2016年8月2日火曜日
2016年7月18日月曜日
生まれてきた意味を知れ
君たちが生まれ、生きていることには必ず何かの意味がある。
それに気づくことさえできれば、きっと運命の扉が開く。
だからまだそれが分からないという人は、早く気づけるよう、毎日自分に問いかけることだ。
それに気づくことさえできれば、きっと運命の扉が開く。
だからまだそれが分からないという人は、早く気づけるよう、毎日自分に問いかけることだ。
2016年7月17日日曜日
大きな力と小さな人間
小さな人間には、大きな力は使いこなせない。
だから君たちが大きな力を欲するなら、しなければならないことは小手先の小さな技術を学ぶだけではなく、自分という人の器を大きくすることだ。
2016年5月19日木曜日
品位が求められる
我々は、合法であれば何をしてもいいのだろうか。
そこには、品性の問題がある。
少なくとも「代表者」には、適法性と共に品性が問われる。
品格・品位の高さが求められる。
合法であればいいだろうというのは、品位の低い人の考えることである。
上に立つ者は、そういう考え方ではいけない。
そこには、品性の問題がある。
少なくとも「代表者」には、適法性と共に品性が問われる。
品格・品位の高さが求められる。
合法であればいいだろうというのは、品位の低い人の考えることである。
上に立つ者は、そういう考え方ではいけない。
2016年4月18日月曜日
マインドフルネスの感覚
体験した人なら分かるでしょうが、マインドフルネスは、以下と同じ「感覚」だと思います。
・スポーツでいう「ゾーンに入った」状態
・心理学でいう「フロー状態」
・禅でいう「無の境地」
・「明鏡止水」の状態
また、柳生新陰流(剣術)には「水月の法」といって、相手の気の動きを察知する術があるそうですが、これも用法を聞くと、マインドフルネスの応用と考えられます。
上記はどれ一つとして、言葉で理解できるものではありません。
修練の長い繰り返しの末に、体で理解するものです。
マインドフルネスとは何か。
本当に知りたい人は、悪いことは言わない、体で知る努力をすべきです。
なぜならマインドフルネスとは一種の「体感」だからです。
たとえば「しみじみした感じ」を言葉で十分に説明することは不可能なように、
塩をなめたことのない人が、「塩味」を言葉で理解することも不可能なように、
感覚は言葉では十分な説明も理解もできないので。
・スポーツでいう「ゾーンに入った」状態
・心理学でいう「フロー状態」
・禅でいう「無の境地」
・「明鏡止水」の状態
また、柳生新陰流(剣術)には「水月の法」といって、相手の気の動きを察知する術があるそうですが、これも用法を聞くと、マインドフルネスの応用と考えられます。
上記はどれ一つとして、言葉で理解できるものではありません。
修練の長い繰り返しの末に、体で理解するものです。
マインドフルネスとは何か。
本当に知りたい人は、悪いことは言わない、体で知る努力をすべきです。
なぜならマインドフルネスとは一種の「体感」だからです。
たとえば「しみじみした感じ」を言葉で十分に説明することは不可能なように、
塩をなめたことのない人が、「塩味」を言葉で理解することも不可能なように、
感覚は言葉では十分な説明も理解もできないので。
2016年4月3日日曜日
痛みは、苦しみではない
ミドルリーダーは、どのような感覚で生きているか。
それは一人、体をがんじがらめに縛られて、大海を渡れと突き落とされるのに似ている。
手足を自由に動かすこともできない。なのに、陸の上で濡れることなく冷然と見ている人たちからは「遅いな」と言われる。
大海を渡るどころか自分の体はどんどん海底へと沈んでゆく。けれど、誰も見ているだけで助けようとはそぶりも見せない。
苦しくて、寂しくて、水の中なのに涙が出ているのがわかる。
そんな状況で、君ならどうするか。
助けは来ない、絶望とどう向き合うか。
客観的に救われない状況で、自分を支えることはできるのか?
たとえばジャック・マイヨールのように、水深100メートルまで素潜りする人は、どういう感覚でいるのだろうか。
自ら好んで、あんな苦しいはずのことをする人は、どういう精神構造をしているのだろうか。
おそらくそういう人は、「ここが、自分のいるべき本来の場所だ」と思っているのかもしれない。
魚が水の中にいるように、自分はここにいたい、ここにいるのが好きだと感じているのかもしれない。
普通の人にとって、たった一人で沈んでいくことは苦痛である。痛くて、苦しい。
けれどある種の人には、痛みは苦しみではないのである。
痛いけど、苦しくはない。
そういう境地に至るには、今ここにいる自分こそ、本来の自分なのだと思えることが鍵なのかもしれない。
それは一人、体をがんじがらめに縛られて、大海を渡れと突き落とされるのに似ている。
手足を自由に動かすこともできない。なのに、陸の上で濡れることなく冷然と見ている人たちからは「遅いな」と言われる。
大海を渡るどころか自分の体はどんどん海底へと沈んでゆく。けれど、誰も見ているだけで助けようとはそぶりも見せない。
苦しくて、寂しくて、水の中なのに涙が出ているのがわかる。
そんな状況で、君ならどうするか。
助けは来ない、絶望とどう向き合うか。
客観的に救われない状況で、自分を支えることはできるのか?
たとえばジャック・マイヨールのように、水深100メートルまで素潜りする人は、どういう感覚でいるのだろうか。
自ら好んで、あんな苦しいはずのことをする人は、どういう精神構造をしているのだろうか。
おそらくそういう人は、「ここが、自分のいるべき本来の場所だ」と思っているのかもしれない。
魚が水の中にいるように、自分はここにいたい、ここにいるのが好きだと感じているのかもしれない。
普通の人にとって、たった一人で沈んでいくことは苦痛である。痛くて、苦しい。
けれどある種の人には、痛みは苦しみではないのである。
痛いけど、苦しくはない。
そういう境地に至るには、今ここにいる自分こそ、本来の自分なのだと思えることが鍵なのかもしれない。
2016年3月31日木曜日
人は、死なない
人の世は、無限に続くバトンリレーのようなものだ。
先人が大切に保持してきたバトンを、我々は受け継いで生きている。
だから私たちも、大切な人に、大切なバトンを渡して死んでいこう。
その、見えないバトンが誰かに大切に保持されている限り、人は表面的には死んでしまったとしても、本質的には死なないのだから。
先人が大切に保持してきたバトンを、我々は受け継いで生きている。
だから私たちも、大切な人に、大切なバトンを渡して死んでいこう。
その、見えないバトンが誰かに大切に保持されている限り、人は表面的には死んでしまったとしても、本質的には死なないのだから。
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