それは一人、体をがんじがらめに縛られて、大海を渡れと突き落とされるのに似ている。
手足を自由に動かすこともできない。なのに、陸の上で濡れることなく冷然と見ている人たちからは「遅いな」と言われる。
大海を渡るどころか自分の体はどんどん海底へと沈んでゆく。けれど、誰も見ているだけで助けようとはそぶりも見せない。
苦しくて、寂しくて、水の中なのに涙が出ているのがわかる。
そんな状況で、君ならどうするか。
助けは来ない、絶望とどう向き合うか。
客観的に救われない状況で、自分を支えることはできるのか?
たとえばジャック・マイヨールのように、水深100メートルまで素潜りする人は、どういう感覚でいるのだろうか。
自ら好んで、あんな苦しいはずのことをする人は、どういう精神構造をしているのだろうか。
おそらくそういう人は、「ここが、自分のいるべき本来の場所だ」と思っているのかもしれない。
魚が水の中にいるように、自分はここにいたい、ここにいるのが好きだと感じているのかもしれない。
普通の人にとって、たった一人で沈んでいくことは苦痛である。痛くて、苦しい。
けれどある種の人には、痛みは苦しみではないのである。
痛いけど、苦しくはない。
そういう境地に至るには、今ここにいる自分こそ、本来の自分なのだと思えることが鍵なのかもしれない。
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